1963年(昭和38年) | 11月20日 四人兄弟の末子長男として誕生 3人の姉に可愛がられ?ながら、 すくすくと育ちました。 |
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1970年(昭和45年) | 京都市立柳池幼稚園 卒園 |
1976年(昭和51年) | 京都市立富有小学校(現・御所南小学校) 卒業
少年時代は野球にあけくれる毎日でした。 また動物が好きで、特に自分の干支である兎には異様に強い思い入れがありました(笑) 小学校で兎を飼育していたため迷わず飼育係に立候補。近所の八百屋さんに野菜くずをもらいに行くのが日課でした。 |
1979年(昭和54年) | 京都市立柳池中学校(現・御池中学校) 卒業 |
1982年(昭和57年) | 京都共栄学園高等学校 卒業
中学、高校はバスケットボール部に所属、高校ではキャプテンに選ばれました。 クラブ漬けの毎日でしたが、一方で「早く働きたい」「社会を見てみたい」という気持ちが強く 工事現場から市場、飲食店、バーなど色々なアルバイトも経験しました。 勉強は嫌いでしたが(笑)、働くことは大好きで、どんな仕事も楽しくて仕方ありませんでした。 |
同年 | トヨタ自動車株式会社 入社
当時は、まだ家業(廃棄物処理業)に対する偏見が強く、職業差別的な扱いを受けたことも
あります。自分自身もどこか引け目に感じる部分があり、高校卒業を前にして父と大喧嘩。 愛知県に就職を決め、勘当同然に家を出ました。 |
1984年(昭和59年) | 山本清掃 入社
母から、父がケガをして家業がピンチとの連絡を受け、迷いつつも家に戻ることにしました。 ほぼ同時期に、当時付き合っていた彼女と結婚。 間もなく(笑)長女を授かりました。 仕事を手伝ううちに、私たちの仕事が社会に無くてならないインフラで、今後ますます重要になると確信し、家業を継ぎ業界全体の地位向上を果たしたいと強く思うようになりました。 |
1992年(平成4年) | 株式会社 山本清掃設立 取締役就任 |
2000年(平成12年) | 有限会社 エム・アール・シー (現 株式会社 エム・アール・シー)設立 取締役就任 |
2001年(平成13年) | 株式会社 山本清掃 代表取締役就任 |
2010年(平成22年) | (財)産業廃棄物処理事業振興財団 第7期産業廃棄物処理業経営塾 卒塾 |
2011年(平成23年) | 盛和塾入塾
このたび、ご縁をいただき、京セラ(株)の稲盛名誉会長が塾長を務められる、盛和塾で学ばせていただくことになりました。
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2012年(平成24年) | 第25回企業内教育インストラクター養成コース終了 |
2013年(平成25年) | 「京都からアジアそして世界へ!」を テーマに、グローバル展開に向けた 海外視察を開始 |
2014年(平成26年) | ヤマモトホールディングス設立 |
(現在に至る) | |
20歳で家業を手伝い始めてから30年が経ちました。 経営者として、またプライベートでは4人の子どもの父親として無我夢中で 奮闘してきた30年間でした。 いつの間にか子ども達も手を離れる年頃になり、会社の方も何とか組織と して体を成しつつありますが、 当初に決意した、私たちの仕事や業界の 地位向上という目標には、まだまだ遠い道のりだと感じます。 我々の業界には、今でも閉鎖的な部分がかなり残っており、それが社会に ネガティブなイメージを与える要因になっています。 それを改善するには、 業界に属する私たち事業者が自ら情報を公開していく努力が欠かせません。 当社がその先駆けになれるよう、積極的に自社の情報公開を進めていきたいと思います。 業界がもっとオープンになり社会の認知度が上がれば、必ず市場が広がり、それによって業界がさらに 発展する、 そう確信しています。 |
一般社団法人 京都府トラック協会 理事 |
京都府トラック協会 南支部輸送協議会 支部長 |
一般社団法人 全国清掃事業連合会 |
一般社団法人 京都府清掃事業連合会 顧問 |
一般社団法人 京都府計量協会 副会長 |
京都府計量証明事業協会 会長 |
千両松地域エコ協議会 副会長 |
エコシステム協議会 副会長 |
一般社団法人 全日本機密文書裁断協会 顧問 |
内閣府認定NPO法人 日本廃棄物再利用研究機構 理事長 |
公益社団法人 京都府産業資源循環協会 理事 |